ある家に、一人の美女が訪ねて来た。ドレスはなかなか豪華で、それに気品がある。
「どなたですか?」
主人の問いにこたえて、彼女は自己紹介をした。
「わたしは吉祥天よ。あなたに福徳を授けてあげるワ」
福の神の到来とあらば、主人が喜んだのは当然である。どうぞ、どうぞ、
と彼女を招き入れた。
ところが、もう一人、彼女と一緒に家の中に入ろうとする女性がいる。こちらのほうは醜女で、見るからに貧乏神である。
「おまえはだれだ?」
「わたしの名は、黒闇天。 わたしの行くところ、かならず災厄が起きる貧乏神よ…」
「貧乏神なんぞに入って来られてたまるか!おまえはとっとと消え失せろ」 主人は黒闇天を追い払った。そのときこの禍の女神は、こう言ったそうだ。 「あなたはバカねえ。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉さんよ。あたしたち姉妹は、いつも一緒に行動しているのよ」
そうして、吉祥天と黒闇天の二人は、肩を並べて去って行ったという。 これは、大乗仏教の経典である『涅槃経』に出てくる話である。 世の中には、あるいは人生には、いいことばかりがあるわけではない。どういえばよいか、いいことと悪いことが、 背中合わせになっているらしい。
そんなことを教えてくれる話である。 だから、 ことわざにあるように「禍を転じて福となす」といった積極的な気持ちが必要なのであろう。 逆境におちいったとき、わたしたちはともすれば泣き言を並べ、自分の運 命から逃げ出したくなるが、そんな気持ちではいけない。 黒闇天が来ているのであれば、きっと吉祥天も来ているのだ。しばらく耐えていれば、かならずや運命は好転するのである。
なお、吉祥天は、もとはインド神話の幸福・吉祥の女神ラクシュミーである。 それが仏教に入って、吉祥天となった。 そして、仏教では吉祥天の母は鬼子 母神(きしぼじん)、その夫は毘沙門天 (びしゃもんてん)とされ、夫の毘沙門天とともに吉祥天も七福神のうちに加えられることがある。