般若心経の教えの一つに「暗いままの明るさに生きよ」という教えがあります。
主婦であるK子さんの話をしましょう。 毎週開かれているある講座にいつも影のごとく来て、影のごとく去っていく女性でしたが、ある時こんな事を講師に、問い詰めてきました。
「先生、私は死にたくなりました。もう生きていても目の前が真っ暗で生きていくことが辛いんです。 こんな状態でも死んではいけないんでしょうか」
K子さんは、子宮ガンと誤診されて宿していた子供を堕ろしたうえに、抗がん剤の副作用で目が不自由となり、髪の毛も抜け、余命もそれほどないとのことでした。しかも夫がよく愛してくれるだけに、彼に自分の惨めな姿を見せたくない、と思いつめて自殺を考え始めたようでした。
先生が「死んではなにもなりませんよ」 と言うと、彼女は「なぜ死を選んではいけないのですか書いてください、 ここに理由を書いてください!」と先生の目の前に紙を突きつけて追ってきたのです。 先生は咄嗟のことで何を書こうか迷った末、詠み人知らずの古い俳句を書きました。
磯までは海女も蓑着る時雨かな
彼女はこの俳句をじっと見詰めていました。 先生は次のように説明したの です。 海女さんは海へ入って貝を採るのが仕事ですから、濡れてしまう のです。 しかし、どうせ濡れると分かっていても雨の日は海辺まで蓑を着て、 自分の体を大切にするのです。 厳しい仕事が待っているからこそ、ぎりぎりまで体をいたわり守ろうとしているのです。
「あなたも自分の体を大切にして、最後のその日まで一生懸命に生きなくちゃだめだ」
そう言うと、K子さんは声を上げて泣き始め「残酷です」と、より一層大きな声を上げて泣き崩れました。
ところが、 K子さんはその俳句を何日も見続け、読みつづけたそうです。 やがて彼女が再び訪ねてきて、「私、九十いくつかの寄る辺のない、寝たきり 老人のヘルパーになろうと思うんですけど、どうでしょうか?」と相談してきたのです。聞けば、そのご老人も前途を悲観して自殺を企てたそうですが、 未遂だったのです。
「生きている間は、自分にできると思うことはどんな小さな事でもやってみることです」と、先生はK子さんにヘルパーになることを勧めました。
彼女は五十代で、相手のご老人は九十歳を超えているのですから、親子ほどの年齢の開きがあります。 死を決意したほどのご老人ですから、生活態度は暗いのです。
彼女が話しかけても「なにしに来た」というすげない態度でとりつく島がありません。でもK子さんは根気よく通い続けて助言しました。 やがて半年ほどして年が明けて正月が来ました。すると、その寝たきり老人から年賀状が届いたのです。 彼女はよほど嬉しかったのでしょう。 先生に見せに来たそうです。 ご老人は不自由な片手で絵を描き、しかも一言書 添えていました。
あなたのお陰でやっと「おめでとう」が言えるようになりました。ありがとう。
K子さんも、この年賀状を機にたいへん明るくなったのです。 生きていればいろんなことがあります。 何があっても人生を悲観して自殺を企てるなどとんでもないことです。
どうにもならんことはどうにもならんのだ。それより今の自分になにができるのだろうか。
逆境にいるときに、こんな問いかけを自分自身に投げかけてみると、意外に「やるべきこと」が見つかり、明るさが見えてくるものなのです。