『斉』という国を行きつくして「もう道がない」。
ところが、行きつくしたと思えばさらにその先に「魯」という国が現れた。 行きづまったのは自分の知(あたま)であり、知(あたま)を捨てて虚 (から)になれば道は無限に続く。
虚であればそれに応じて知恵は無限に変化して出てくる。 行き先は無限にあるということである。
長い人生誰しも大変な試練を迎えることがある。 そんな時このまま行くと この先どうなるのか不安になることがある。誰もが大なり小なり経験することだと思う。
戦国の武将武田信玄は、この戦いは無謀と家来達が止めるのも聞かず 「物は定りて定らぬものなり」と言って戦いに挑み、勝利を収めたという。 その先のことは分からないのである。
仏教では右に行くか、左に行くか迷ったら、サイコロを転がして決めよというのがある。
困難な道も良し、平坦な道も良し、という意味だと思う。
自分の心の持ち方次第ですべて吉とすることが出来ると思う。
人間成長する上で苦しい体験は必要である。
大切なのは、とり越し苦労をせず「何があっても平気で生き抜くぞ」という勇気と「禍いを転じ て福とする」という精神を持つことではないか。
山頭火の言葉に
「雨が降ったら傘さして、傘がなかったらぬれて行く。そんな人生がちょうどいい」
大変好きな言葉の一つである。 人生「ケセラセラなるように成る」と 笑って生きて行きたいと思う。