心の図書館

ものごとの表層にこだわらないこころ

世間でその名前をよく知られているお経のひとつに、「観音経」というのがあり、この経の内容をもとにして、古来、さまざまな霊験物語が伝えられてきている。 実は、この観音経というお経は、独立した経典ではなく、 日本人ならだれでもが知っている『妙法蓮華経』(法華経)という長い経典の一部なのである。

さてこの観音経には念彼観音力という言葉が、何回も出てきて『彼の観音の力を念ずると』それこそあらゆるご利益を得ることができる事になっている。でも誤解しないでいただきたい。現世のご利益を否定する気は毛頭ない。 大体人間の浅はかな知恵で、 摩訶不思議な霊験をせせら笑うこと自体が傲慢だということも知っている。

しかし、大切なことは、この観音様の慈悲の対象の中心は、『人間の心』 であって、表面的・現象的問題は極めて些細な問題にしか過ぎないのである。

「現実に病気にかかっていたり、今日食べるものがない場合、さらには生まれつきの不具者にとって、一番必要なことは病気を治癒し、食物を与え、そして不具を治してくれることではないか」

それでは、次の物語を読んでいただこうか。

盲目の夫婦がいた。互いに深く愛し合っており、しかも、ともに信仰が厚く、 常に観音様におまいりしていたという。 毎日を本当に幸せに暮しており、何 一つとして不満はなかったが、でき得るならば、こんなに愛し合っている互 いの顔を一度でよいから見たいと思っていた。ある時、二人は相談して、「どうだろう。 私たちをこんなに慈悲深く守ってくださる観音様にお願いしてみようではないか」という事になった。 妻の方にも勿論異存はなく、そろって観音様に一心に願をかけた。

何日かたって、二人がお互いにかばい合いながら帰宅した時、 摩訶不思議! なことに突然眼が見えるようになったではないか。

夫は、自分が手を取っていた妻の顔を見ると飛び上がって驚いた。「何とまあ醜い 女だ。私はそれを知らないでこんな女と一緒に暮らしていたとは」といって あわてて手を離した。すると妻は、「私だって、あなたの顔がこんなおかしな 顔とは夢にも思っていませんでした。 でもそれよりも、私の顔を見た瞬間、 あわてて逃げてゆくような人が、今まで私の夫だったのかと思うと本当に悲しくなりました」と言って、さめざめと泣いたと言う。

病気を癒し、不具をなおし、食物を与えてくれれば、

人間は本当に幸福になるのだろうか、考えさせられる話である。

観音様の慈悲が、こういった現象的な現世利益だけを目的としているもの

ではないことを、充分味わっていただけると思うが…。

このお経は、観音菩薩がこの世の真実を見極めた上で、苦しんでいるもの、 悲しんでいるもの、悩んでいるもののすべてを、何とか救ってやりたいという大慈悲の心から説いているのである。

私は、神社・寺院にお参りするとき「欲な心をもちませんように」と 手を合わせる事にしている。 神仏は敬っても頼るものではないと信じています。